善通寺市の西側に屏風のように連なる5つの美しい山があります。それらの山々は総称して「五岳山」や「屏風ヶ浦」と呼ばれ、弘法大師空海が真魚(まお)と呼ばれた幼少期に遊び、修行をした場所とのいわれがあります。
現在でも市のランドマークとして市民に愛される里山であり、昨今はトレイルランニングコースとしても注目を集めています。
「五岳山」の山々にはそれぞれ願いが込められています。
- 香色山 ご先祖・家族に感謝
- 筆ノ山 学問をきわめる
- 我拝師山 未来を決断する・大願成就
- 中山 結びの山
- 火上山 運気上昇・商売繁盛
「五岳山」はそれぞれ独立峰であるため、アップダウンが多く、眺めの変化や植生を楽しむことができます。秋には落ち葉の絨毯が登山者を迎えてくれます。
香色山(157.2m)
香色山は総本山善通寺の裏にあるお椀をふせたような山です。標高153.2m。頂上には「佐伯直遠祖坐神」と刻んだ石廟があり、傍らに京極家の寄進である不動明王と愛染明王の石像が並んでいます。石像の背面には、江戸時代にこの場所で経塚(きょうづか)が発見された際の記録が克明に記されています。また、物事に動じない心を授け、無病息災、減罪の功徳があるという「阿閦如来(あしゅくにょらい)」の石仏が見守っています。弥生時代の石棺墓群とともに、複数の経塚が確認されています。特に1号経塚は平安時代後期のもので、全国で唯一の上下2段構造(2世代用)であることが判明し、県の史跡に指定されました。
山頂からの眺めはすばらしく、展望所からは善通寺市街や丸亀平野、瀬戸内海の島々まで見渡すことができます。
登山道が整備されており、初心者でも登りやすい山のため、1日1回登ることを日課にしている地域の方もいらっしゃいます。
筆ノ山(296m)
筆ノ山は標高296m、山頂が細くとがっていて、遠くから眺めると筆の穂先に似ているところから名づけられました。また、筆草が生えていたという説もありますが、筆草は未だ確認されていません。五岳山の名前は、それぞれ仏教上の意味合いが込められており、弘法大師空海が書道に優れ三筆のひとりといわれたことに深く関係しているとも考えられています。
徳川末期に丸亀藩の砲術隊が筆ノ山のふもとを標的にして実弾射撃の訓練をしたことから、「どんどやま」とも呼ばれていました。また、太平洋戦争中は敵を見張る監視哨(かんししょう)が造られていました。現在の山頂には財宝を生み出し幸福を授けるという「宝生如来(ほうしょうにょらい)」の石仏がまつられています。
東の麓には寺院跡があり、五輪塔と古瓦が発掘され、古くからの仏教遺跡だといわれています。また、筆ノ山の麓には、力持ちの牛飼いがいました。通行人を待ち受けては相撲を取ったり、俵を担いだり、人を抱いて弘田川を渡るほどの怪力の持ち主でした。この男は厳島関右衛門(いつくしませきえもん)という江戸でも有名な力士になり、その墓が筆ノ山の麓にあります。
登山道途中からは大麻山方面、山頂近くからは天霧山方面の景色が望めます。
我拝師山(481m)
五岳山の最高峰で標高481m。古くは倭斯濃山(わしのやま)と呼ばれていました。花こう岩の上に凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)を挟んで讃岐岩質安山岩がのる、香川県でよく見られる孤立丘(ビュート)です。讃岐岩質安山岩の硬岩層300~400mにかけて険しい崖を形成し、特に南側の崖は捨身ヶ嶽(しゃしんがだけ)と呼ばれ、幼い日の弘法大師空海が修行をした地として知られています。
伝説によれば、真魚(まお)と呼ばれていた7歳の空海は、我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる。」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、釈迦如来と天女が舞い降り抱きとめたと伝わります。この時、空海がお釈迦様を拝んだことから、我拝師山と呼ばれるようになりました。
この山の麓には出釋迦寺(しゅっしゃかじ)があり、山頂近くに奥の院禅定(ぜんじょう)があります。山頂には、宇宙の真理を表し諸願成就の「大日如来」がまつられています。
大坂峠コースから登れば急登、奥の院コースから登れば岩肌(鎖場)という五岳山の中でも難所が多く玄人好みのコースを楽しめます。
中山(438m)
標高438mの中山は、我拝師山と火上山の間にあります。我拝師山と同じく、花こう岩の上に凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)を挟んで讃岐岩質安山岩がのった孤立丘です。
山の名は「多度郡屏風浦善通寺之記」によれば、「五岳とは、香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山是也…中山とは、字のことし」とあり、我拝師山と火上山の中央に位置することからついたようです。東は丸亀平野、西は三豊平野を望み、はるか昔、のろしを上げた跡も残っています。山頂では、現世安堵の御利益があり極楽浄土に導くという「阿弥陀如来(あみだにょらい)」の石仏がまつられています。
みかん畑になっている北麓の丘陵は水茎の丘と呼ばれ、そこには西行庵があります。
出釋迦寺奥の院禅定側から登ると急登であり、火上山に向かう標高差は120m。下りも魅力的なコースです。
火上山(408.9m)
標高408.9mの火上山は、善通寺市と三豊市に接する位置にあり、すぐ北に鳥坂(とっさか)峠、その北に弥谷(いやだに)山と天霧(あまぎり)山が続いています。昔から軍事上の重要な位置にあり、ここにのろし台を置いたことから、この名前がついたともいわれています。
北側のゆるい丘、スズメ池の東にある農道を上がった中山と火上山の間の窪地には大窪寺の跡があります。平安時代、仏教が盛んな頃に建てられた立派な山岳寺院であったようです。この窪地の北の端には、『大窪経塚古墳』と呼ばれる前方後円墳があります。瀬戸内海沿岸部の積石塚のなかで最も西に位置していて、大きな竪穴式石室も残されています。山頂には物事を成就させるための知恵を授けてくれる「不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)」の石仏がまつられています。
山頂は平面になっており、鉄塔が目印です。国道11号方面への登山道は標高差が200mもあり、心臓破りの急坂が待ち受けます。
※山頂近くの登山道は直射日光が強いため、体力が奪われ過ぎないように注意してください。
※登山は決して無理せず、複数人で安全に登りましょう。