弘法大師空海の御誕生所である善通寺は、屏風浦五岳山誕生院善通寺といい、真言宗善通寺派の総本山で、四国八十八箇所霊場第75番札所です。
唐から帰朝した空海が長安(現在の西安市)の青龍寺(しょうりゅうじ)を手本に、大同2(807)年から弘仁4(813)年までの6年の歳月をかけて建立しました。父の名である「善通(よしみち)」にちなみ善通寺と名づけたと伝えられ、高野山の金剛峯寺や京都の東寺よりも早くに建てられた真言宗最初の根本道場です。
出土した瓦などから白鳳時代の前身寺院の存在が確認されており、当初は佐伯氏の氏寺であったと推測されています。その後は、幾度か荒廃、再建をくり返しましたが、永禄元(1558)年の戦火で堂塔伽藍(どうとうがらん)はすべて焼け落ちました。しかし、高松・丸亀両藩の援助により次第に復興し、現在の姿に整えられました。
江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれが独立したお寺でしたが、明治時代になって一つの寺となりました。現在は総面積約45,000㎡におよぶ広大な境内に、「伽藍(がらん)」と称される東院と「誕生院」と称される西院があり、東西二院で総本山善通寺と呼ばれています。「伽藍」は創建時以来の寺域にあり、「誕生院」にある御影堂(みえどう)は空海が誕生した佐伯家の邸宅跡に建っています。
総本山善通寺の見どころ
大楠
総本山善通寺の境内には、県の天然記念物に指定された2本の大楠があります。南大門を入ってすぐ左手にあるのが大楠。その西北、五重塔を背に正面に見えるのが五社明神大楠です。
大楠は高さ約15m、幹の太さは地上1.5mのところで11mもあり、大きく枝を伸ばしています。樹齢千数百年ともいわれ、弘法大師空海誕生の頃からすでに生い茂っていたようです。一方、五社明神大楠は高さ約17m、幹の太さは地上2.3mのところで10mの大きな樹です。五社明神は善通寺領の安泰を守る氏神で、根元に社殿がまつられています。ともに長い年月にわたり、善通寺を訪れた人々に涼やかな木陰を提供してきました。なお、クスノキは善通寺市の「市の木」でもあります。
金堂
南大門をくぐって東院に入ると正面に見えるのが金堂です。金堂は元禄12(1699)年に再建されたもの。桁行三間、梁間二間、一重裳階(もこし)付入母屋造(いりもやづくり)で、正面と両側面には火灯窓(花頭窓)が配され、その上部には「ゆらぎ」の連子欄間(れんじらんま)が施されているという禅宗様の建築様式で、国の重要文化財です。
五重塔
善通寺市のシンボルである五重塔は、お釈迦様のお骨を納める舎利塔です。弘法大師空海が創建した五重塔は延久2(1070)年に大風で倒壊し、現在の塔は4代目で明治35(1902)年に完成しました。香川県に現存する五重塔の中で最も古く建てられたもので国の重要文化財です。三間四方、1mの基壇に高さ43m、けやき造りの堂々とした造りで、国内の木造塔としては東寺、興福寺に次いで3番目の高さを誇ります。
御影堂
弘法大師空海が生まれた佐伯家の邸宅跡に建てられた誕生院の中心的な建物が御影堂です。現在の建物は天保2(1831)年に建てられ、昭和12(1937)年に大規模な改修を行いました。真言宗では空海のお姿を「御影(みえ)」と呼び、それをまつる建物を御影堂と言います。また、御影堂地下には、約100メートルの「戒壇めぐり」があり、暗闇の中、法号を唱えながら大師と結縁する道場となっています。
宝物館
総本山善通寺は、昔から歴代の天皇の信仰も厚く、しばしば綸旨(りんじ)、院宣(いんぜん)などの天皇ゆかりの品も寄せられ、また弘法大師空海の御作や遺品も残されています。そうした宝物が納められているのが宝物館です。明治40(1907)年に創設され、現在の建物は弘法大師生誕1200年記念事業として文化庁の指導の元、昭和47(1972)年に完成しました。
国宝の「金銅錫杖頭(こんどうしゃくじょうとう)」、「一字一仏法華経序品(いちじいちぶつほけきょうじょぼん)」をはじめ約2万点を収蔵し、そのうちの約30点が展示されています。
●戒壇めぐり・宝物館拝観料/大人500円、小・中学生300円
●拝観時間/8:00~17:00(受付は16:30まで)
五百羅漢
五百羅漢とは、お釈迦様の入滅後の第1回、第4回の仏典編集会議に集まった人々がそれぞれ500人であったことから、この500人の聖者を指すといわれています。さまざまな顔かたちをした500人の中には、親しい人、懐かしい人に似た顔が必ずあるともいわれています。
総本山善通寺の金堂の中には、ご本尊の薬師如来を囲むように五百羅漢がまつられていました。江戸時代後半につくられたもので、現存するのはそのうちの108体です。現在は御影堂の北にある護摩堂横の回廊に移されました。
東院の塀沿いにも石像の五百羅漢がまつられています。平成18(2006)年に創建1200年の記念事業の一環として建立されました。多くの人々の寄進により完成した五百羅漢は、それぞれ個性があり、何度見ても新
たな発見があります。
足利尊氏の利生塔
総本山善通寺東院の南東隅にある石塔は「足利尊氏の利生塔」です。暦応元(1338)年、足利尊氏・直義兄弟は夢窓疎石のすすめで、南北朝の戦乱による犠牲者の霊を弔い国家安泰を祈るため、日本60余州の国ごとに一寺一塔の建立を命じました。寺は安国寺、塔は利生塔と呼ばれ、讃岐では安国寺を宇多津の長興寺に、利生塔は善通寺の五重塔があてられました。利生塔は興国5(1344)年、善通寺の僧正・宥範によってもうひとつの五重塔として建てられましたが、焼け落ちた後、高さ2.8mの角礫凝灰岩の石塔が形見として建てられています。
近くには法然上人ゆかりの逆ぎゃくしゅうとう修塔があります。逆修とは生きている内にあらかじめ仏事を修め自らの死後の冥福を祈ることで、法然上人が善通寺に詣でた時に、後世の往生を祈って建立されたと伝えられています。このように善通寺の境内には、利生塔だけでなく、さまざまな歴史の痕跡が残されています。
涅槃桜
宝物館西側の弘田川沿いの塀ごしには、独特の甘い香りを漂わせて咲く、珍しい桜の木があります。ソメイヨシノよりも早く3月初旬につぼみが膨らみはじめ、満開の時期がお釈迦様の入滅した(涅槃)旧暦2月15日(現在の3月上旬)に近いことから、「涅槃桜」と呼ばれています。
この桜の品種名はミョウショウジザクラ。昭和48(1973)年の弘法大師生誕1200年を記念して、桜の発見地である新居浜市の明正寺から贈られた貴重なものです。総本山善通寺に春を告げる花として、毎年開花が待ち望まれています。
済世橋に続く駐車場の北にもあり、春にはその色と香りで参詣に訪れる多くの人を魅了します。毎年、総本山善通寺や善通寺市のホームページで開花のニュースが掲載されます。
済世橋
済世橋(さいせいばし)は、総本山善通寺の西側を流れる弘田川に架かる橋です。善通寺の駐車場からは、この橋を渡って西院に入ります。昭和53(1978)年、弘田川の改修工事に合わせて架け替えられました。
その際、洛陽の都の橋・天津橋を模して石のアーチ橋としました。天津橋は607年、隋の煬帝が洛陽城を築いた際、正面に流れる洛水を天の川に見立てて「天津」と名づけたといわれています。東洋最古の石のアーチ橋で、その形から「天津暁月(てんしんぎょうげつ)」とも呼ばれ、空海も渡ったといわれています。「済」の字には「渡す」という意味と「救う」という意味があります。世を救うことを決心した空海が渡った橋を再現しています。
橋の欄干には、密教の布教に貢献した空海を含む真言八祖(しんごんはっそ)の名号を表す種子(梵字)が刻まれています。