多度津善通寺線沿いにある若宮神社から北に進むと仲村城跡があります。
讃州府志によると、ここは平安後期、源氏に属していた行司貞房(ぎょうじさだふさ)の居城でした。鎌倉時代になると、濠を深く、土の堤を高くして二町四方の平域に整備し、この付近の中心的な城となりました。しかし、戦国時代に甲山城が築かれると、廃城となりました。現在でも土塁と濠の一部は残っています。
また城内には、天霧城主香川氏の祖で、後三年の役(1083~1087)年で八幡太郎源義家に従い勇敢に戦って片目を射抜かれたにもかかわらず敵を討ち取り、自ら刺さった矢を引き抜いたという鎌倉権五郎景正(かまくらごんごろうかげまさ)をまつる景正神社があります。この神社は眼病を癒す神として霊験があるといわれています。祠の前には、柏の大樹が生い茂っています。
仲村城跡
土塁と濠の一部が残る源氏の城跡