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太古から守り受け継がれてきた場所で歴史を紡ぐ湧水のまち 太古から守り受け継がれてきた場所で歴史を紡ぐ湧水のまち

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瀬戸内海と山々に囲まれ、温暖な讃岐平野に位置する善通寺市。豪族の繁栄から偉人の誕生、軍都としての歴史など、太古から人々に選ばれ栄えてきたこの土地は、市内を潤す豊かな“湧水”が隆盛のカギになっていると考えられています。

歴史を紡ぐ湧水

今から2,000年以上前、稲作の文化が日本に伝わった弥生時代には、豊かな水源を求めて人々が集まりました。人々の暮らしはそれまでの狩猟や採集を中心とした生活から一変し、水の供給が容易で耕作生活に適した土地に定住し、村をつくるようになります。現在の善通寺市仙遊町一帯には東西約1km、南北約0.5kmに渡る大規模集落が広がっていたと考えられています。この集落跡は『旧練兵場遺跡』と呼ばれており、これまでの発掘調査により150棟以上の竪穴式住居跡や50棟以上の掘立柱建物跡、土器棺、銅鐸、青銅製のやじり、大量の玉類、丹塗り土器や絵画土器など、多種多様な遺物が見つかっています。

繁栄はその後、古墳時代にもみられます。水が豊富で環境に恵まれた地域は更に発展し、力を持った豪族が現れました。善通寺市にはこれまで400基を超える大小様々な古墳があったと言われており、一部の古墳からは大和朝廷につながる有力な豪族の存在をうかがえる埋葬品が出土しています。

善通寺市の南西部に位置し、“王家の谷”とも呼ばれる有岡古墳群でひときわ存在感を放つ6世紀前半の古墳。銀象嵌を施した鉄刀や金銅製冠帽が出土しており、大和朝廷と繋がる有力な豪族が眠っていると考えられています。この豪族は、弘法大師空海の祖先にあたるのではないかとも言われています。

『王墓山古墳』の詳細はこちらから

善通寺市の南端にそびえる大麻山の中腹、標高400mにある積石塚の古墳。古墳の形状や出土した壺型土器から、最も古い時期に造られた古墳の一つだと考えられています。古墳の隣にはキャンプ場と展望台を備え、善通寺市のランドマークである五岳山や市街地を眺めることができます。

『野田院古墳』の詳細はこちらから

全長約9mの横穴式石室を持つ7世紀初頭の古墳。石室の壁面には人物群や馬に乗る人物、船団などの線刻画が刻まれています。このような古墳は全国でも珍しく、四国では香川県でしか確認されていません。毎年4月29日の「古墳の日」には、石室内が一般公開されます。

『宮が尾古墳』の詳細はこちらから

その後、奈良時代には古墳時代から続く有力な豪族・佐伯氏の家系から、善通寺市を代表する偉人・弘法大師空海が誕生し、平安時代には全国に名を馳せる活躍を遂げました。

時を経て、江戸時代には湧水付近に丸亀京極藩の藩主が休憩するための茶屋『永榎亭』が設けられるなど、湧水は時代を超えて人々の暮らしを潤し、支え続けてきました。

明治時代には大日本帝国陸軍第11師団が拠点を置き、軍都へと変遷を遂げます。当時の善通寺村(現:善通寺市)のような、県庁所在地ではない小さな村に陸軍の司令部が置かれるのは異例のことでした。これは、一説には第11師団が騎兵隊を有し、隊員のみならず多くの軍馬を抱えた師団であったため、隊の運営に特に多くの水が必要であったのが理由ではないかとも考えられています。第11師団の拠点が置かれたことで、道路整備や鉄道の開通など、急速に近代化が進むことになりました。

  • 現在は「陸上自衛隊善通寺駐屯地・乃木資料館」の名称で知られています。

天に向かって伸びるカイヅカイブキの並木の奥に佇む威厳に満ちた洋館。この建物は、大日本帝国陸軍第11師団が司令部を置いた建物です。名将・乃木希典将軍も執務した執務室をはじめ、建物内は現在は資料館となっており、旧陸軍・海軍に関する貴重な資料を見ることができます。

『旧陸軍第11師団司令部』の詳細はこちらから

明治36年建築、玄関ポーチに金色の星が輝く『偕行社』は、寄棟造の大屋根を持つルネッサンス様式の建物です。陸軍将校の社交場として創建され、華やかな大広間では舞踏会などの親睦事業が行われていました。現在は国の重要文化財に指定されています。

『旧善通寺偕行社』の詳細はこちらから

  • 現在は「陸上自衛隊善通寺駐屯地倉庫」の名称で知られています。

善通寺五重塔に向かって伸びるゆうゆうロードの入り口で、ひときわ目を引く赤レンガの建物。陸軍の兵器庫として明治時代から大正時代に建てられました。現在は陸上自衛隊の倉庫として活用されているため見学はできませんが、お寺とレトロ建築が調和する独特の景観を生み出しています。

『旧陸軍第11師団兵器庫』の詳細はこちらから

今日の善通寺市と湧水

現在の善通寺市内には約80ヵ所ほどの湧水が点在しており、地域の人々からは“出水(ですい)”と呼ばれ親しまれています。農業用水として活用されている他、周りに東屋が設けられ、地域の憩いの場となっている湧水もあります。

かつては水道水源としても利用され、「さぬきの名水」にも選ばれた市内最大規模の出水。2ヵ所から水が湧き出ているため『二頭出水』と呼ばれるようになったと言われており、水不足の時期にも枯れることなく水を湛えます。春には周囲を桜が薄紅色に彩り、人々が集う美しい湧水です。

『二頭出水』の詳細はこちらから

(永井の清水)

丸亀京極藩主が休憩するための茶屋が設けられ、ところてんの名所であったと伝わる名水です。現在は護岸付近に東屋が建ち、地域の人々が憩うスポットになっています。澄んだ水の中を悠々と泳ぐ錦鯉を見ることができ、かつての水郷の郷愁を感じることができます。

『榎之木湧(永井の清水)』の詳細はこちらから

善通寺市
湧水豆知識

善通寺市民プール

夏季には県内外から多くの方が訪れる人気施設『善通寺市民プール』には、地下から豊富に湧き出る井戸水が使用されています。高さ約18mのスパイラルウォータースライダーをはじめ、造波プールや流水プールなど、バラエティー豊かなプールを有します。水資源が豊富な善通寺市だからこそ実現できる施設です。

善通寺市を楽しむ
5つのポイント

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